2012年5月6日日曜日


復活後第4主日




  父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。  ヨハネ15:9

【説教要旨】

私の婚約式のときに家内と交換した聖書に私を導いてくださった内野牧師が、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」今日のみ言葉を書いてくださいました。

結婚して、結婚生活をしていくとき、男と女の愛し合うという、人間だけの愛だけでは、結婚生活は、到底維持できないということをひしひしとこの歳になり、さらに重く感じています。

 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」

私たち二人だけのものでなく、クリスチャンはもう一人の方と共に繋がっているということです。それはイエス・キリストと繋がっているということです。それを私たちは、人生の歩みの中で忘れがちになります。結婚式の誓約を思い出してください。初めは神さまと誓約を交わします。次に結婚する二人同士が誓約します。私たちが神の前で結婚するということは、結婚が私たち二人だけの繋がりでなく神との繋がりがあって成立するということです。

夫婦であり続けることができるのは、人の力を超えたもう一つの力に支えられていたと思っています。枝が木につながり水や栄養分をもらって生きて、成長しているように、神の愛をもらって人の愛を超えたものをいただいて、私たちは生きているのです。

ブラジル聖公会の弓場司祭のお父さんが天に召されるとき、息子を呼んでいわれたそうです。「お前は、よく勉強し、良い司祭になった。しかし、聞きなさい。繁、いいかイエスさまのどこでもいいからしっかりと握って、離さないでいなさい。そうすればきっと間違いない」といわれたそうです。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶというみ言葉、そのものではないでしょうか。長い甘いも辛いも信仰生活の中で経験しながら、イエスにつながることの力強さを心で受け止めていた者の言葉ではないでしょうか。

イエスさまに繋がることは農夫である神さまの働きがあるのです。神の働きこそ私たちを作っていくのです。私たちは神に繋がるということを自明のように受けとめてはいけません。だからイエスさまは「わたしにつながっていなさい。」とあるように命じられるのです。私たちは一瞬、一瞬、このことを心に刻みつつ、一瞬、一瞬、この命令に従っていくことが大切なのです。すなわち、

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」

父なる神がイエスさまを愛した。イエスさまが私たちを愛してくださった。愛という意味では同じです。しかし、ここで大きな違いがあることに気づきます。父なる神が愛すべきイエスを愛された。イエスは愛すべき私たちを愛したのではありません。私たちは愛される存在ではありません。むしろ、神に背く者であり、罪を犯す者であり、神に敵対する者です。しかし、イエスはこんな私たちを愛してくださっているのです。これは当然のことのように私たちは思っていますが、当然なことではないのです。だから「わたしの愛にとどまりなさい。」と命令がやってくるのです。

さらに「戒めを守るならば」とあります。戒めとはなんでしょうか。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

互いに愛するということです。その愛とは、愛する対象になりえない者を主イエスが愛されたように愛するということです。これは自分が愛されるに相応しくない存在であるということを知ること、「つながっていないさい」ということを日々、噛みしめるということ、それゆえに「互いに愛し合いなさい。」ということが起きてくるのです。

神の愛、イエスさまの愛に留まるという事です。人の愛でなく、神の、イエスさまの愛に留まることこそ、すべての基が私たちの内にあるのです。

イエス・キリストの贖いによって、私たちはすでにキリストに結びつき、キリストの愛に留まっているのです。私たちはイエス・キリストのうちにいるのです。私たちは愛される存在とされているのです。それはいつも「つながっていないさい」、「互いに愛し合いなさい。」という命令、励ましの言葉があり、これに聞くものでなければなりません。これに聞いていく者が私たちキリスト者なのです。豊かな実を、愛の実を結ぶのです。すべて、ここから私たちをはじめていくこと、私たちが主の弟子となることです。神に、キリストに、支えられ、愛され、育てられている自分に深い感謝をもって、人生を一歩踏み出しましょう。



牧師室の小窓からのぞいてみると


新米園長・瞑想?迷走記

入園児を私たちは多く迎え、経営は安定しているが、地方の教会は大変に苦しい状況にあることが分かった。今月、ルーテル幼稚園保育園連盟の総会があるが、痛みを自分の痛みとして、共にキリスト教保育を発展させていくことを考えたくなった。自分の園だけでなく、他者のことも考えることが出来る教会の園となりたい。


ルターの言葉から

 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」            ヨハネ15: 9

キリスト者の間から愛を締め出し、そこに憎しみと嫉妬をきたらせようと、ひたすら努力するほど、悪魔が喜び、望むことはありません。愛によってキリストの国が建設され、維持されることを悪魔もよく知っているからです。

キリストは、私たちが何よりも愛を保つようにと熱心に勧め、そして父とご自分とをそのことの最高で完全な手本としてお示しになりました。(イエスの言っておられる意味はこうです。)わたしの父はわたしを限りなく愛して、わたしの内にあらゆる力と権威を置いてくださった。今、父はわたしを苦しみにいれようとしているがわたしが行い、苦しむすべてのことを、あたかも神ご自身に対してなされたかのように受けとっておられます。そして、わたしを死から命へと甦らせ、万物の主とし、わたしの内に神のみいつの誉れを帰させてくださるのである。(イエスはさらに言われる)そのように、わたしも<あなたがたを>愛するのである。わたしはあなたがたを罪と死から救い出し、わたしの純潔ときよさ、死と甦り、わたしの権威のうちにあるすべてのものを与える。それゆえ、わたしの愛の中にとどまりなさい。たとえわたしのために激しい苦悩に見舞われ、激しい試練を受けて、わたしから離れさせようとしても、耐え忍びなさい。あなたがたの苦しみや痛みよりも、わたしの愛をより強く、より大きく感じなさい。

私たちはこのキリストの模範に従い、それぞれの能力に応じて、互いにこの命令を実行することを学ぶのです。
ヨハネ福音書講解より



(大森日記)礼拝後、耐震工事への最終の説明会の信徒会、その後の建築・役員合同委員会と続く。みなさんがよくついてきてくださっていることを感謝します。翌日、ブラジル伝道報告会が開かれ、神さまのくすしき御手を感じさせられた。神さまは生きておられる。1日から全国牧師会、2日から全国総会と雨の中で開かれる。聖書を生きる大切な力は座力(コーアハ・イェシヴァ)、座る力だという。座ることから始まる。まさにそんな時間の4日間でした。総会後、名古屋の役員さんが生まれた文京区を散策。神田川、湯島聖堂が遊び場だったという。そんなとき防空壕の跡、強制疎開で家が壊された話などを聞き、平和の大切さを感じ、今を生きている幸いを感謝している。昼食をご馳走になりながら、伝道とは何かということを熱く会話する。もっと伝道しなくては。


おまけ・牧師のぐち(続大森日記)牧師だって神さまの前でぐちります。ぐちらない聖人(牧師)もいますが。 

日)耐震工事の信徒会。説明をしながら理解をしていただくのが、色々な貴重な思いがあるので、一つ一つに完全に応えていくことの難しさをひしひしと感じている。いつも教会の建築がついてくる。別府時代は集会室の建築と会堂、牧師館の改修、サンパウロ時代は教会堂の建築、資金はあったのだが、これは計画倒れで終わった。刈谷は教会堂、牧師館の建築、静岡は数教会、施設の建築、名古屋は改築と続いている。もって生まれた星の下というのがあるのだろう。夕礼拝後にみんなでゆっくりと聖書のことを話す。時の穏やかさに心静か。
)ブラジル伝道報告会、50名の方々が来てくださり、熱心に耳を傾けてくださる。夜はブラジルの婦人に、くるくる寿司は行きましたかと聞くと行かれていなかったので連れて行く。日本の文化です。長男が来たがすぐに婚約役者の所へ。嬉しいようで寂しい。
)木曜日のブラジル報告会の朝食の材料を買いに鶴見に行く。つい、買いすぎてしまう。夕刻より牧師会。だれていると大きな声をあげて発言した方が、夕礼拝にはいなかったのはなぜだろうか。やはりだれているからかも。友人と新橋で飲み、電車がなく品川まで歩く。そこから次男にSOS
)今日は、教師会、全国教会総会と続く。雨が強く、足元が濡れてしまう。地方の教会の幼稚園の経営環境の厳しさをうったえるアピール。
)総会、朝のブラジル朝食会の準備。雨。足元が悪いのにもかかわらず出席くださる。感謝。昨日の幼稚園のアピールにたいして、責任教区の役員の弁明あり、自分たちは存知せず、まことに遺憾、なんと冷たい答えか。腹立たしくなる。久しぶりに怒り。
)総会最後の日、終わり議事進行のお役を終わり、ほっとしていると名古屋の役員さんがご褒美に高い21階のレストランに夫婦を招待してくれた。いつも牧師をきづかってくださる。関東大震災後に作られた震災復興公園である文京元町公園を散策。震災後鉄筋コンクリートの小学校と避難所となる公園をセットに作ったという。この英知を昔の人はもっていた。
)総会疲れの上役員会の準備などしているとうとうと。妻は友人宅でパーティー。帰ってきて原稿を推敲してくれる。感謝。明日は息子は礼拝に出てくれるだろうか。