2013年5月19日日曜日

聖霊降臨日

「すると、一同は聖霊に満たされ、
 “霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」

              使徒言行録2:4

【説教要旨】
「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。」と創世記は記しています。しかし、神によって言葉がばらばらにされたというこの物語の起源譚は、世界中の言葉が違う理由について記したものでしょう。
一方、教会が成立した聖霊降臨日の出来事において、「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」とありますように、違いある言葉をそれぞれの言葉を話すことによりそれぞれが分かるようになったということです。
いま、パソコンが誰でも手に入れられ、インターネットが普及した時代政治、経済と大きく変化をしてきていますことは皆さんが分かっていることだと思います。TPP加入問題で分かるようにアメリカということを軸にして経済も同じ土俵に動きましょうということです。「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。」ということが再び現実化しようとしているのかもしれませんね。このことが私たちがどう生きるかという私たちの生き方を強く求められてきていますから、私たちは大変に厳しく、重い時代を生きているのです。
 A牧師が「教会は社会が求めてきていることにどう対処していくかということではなく、社会がどう生きたら良いかということを教会に求めてくるような教会にならなければならない」と言っていることにうなずきます。
創世記において、言葉は一つになり、「彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。」とありますように文明を築いてきたと記しています。その力の向く方向に注目したいのです。
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
自己自信に満ち、神を頼ることのできない者となり、「これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。」とあるように、人が神のようになろうとしているところです。人が文明というものを手中にしたときにいつも起こることです。それを現代にあてはめたとき、私はこの物語を笑ってばかりではおられません。まさに一つの文明を手に入れた現代人が何かを感じるのではないでしょうか。この物語の結果も現代人がもっている不安を示しています。「全地の言葉を混乱(バラル)させた」ということです。どうも良い事ばかりでなく、「混乱(バラル)」が起きるのでないかという不安です。
さて、教会が成立したとき、神は聖霊という力をもって私たちとむかいました。それぞれが違いを越えて、相手の分かる言葉で話すように弟子の口を開いてくれました。秩序の回復と「希望」です。

神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。

活き活きした姿を示しています。全ての世代に渡って、私たちは神からの恵みをいただくということです。
そして、私たちの外へ、外へ私たちの目を向けてくださるのです。
主の名を呼び求める者は皆、救われる。イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
 バベルの物語は人が自分へ自分へ、内へ内へとむくことにより自らを滅ぼしましたが、聖霊降臨は人の目がキリストへ、キリストに向かうとき、そして今こそ私たちはこのことを伝えるべき伝道を整えいくことです。キリストにこそ喜びがあるのです。


◆牧師室の小窓からのぞいてみると
本音で

私も本音で話す方だから橋本さんの発言にはいつもひやひやして心配していた。
今回の従軍慰安婦に関する発言は、本音というよりも、無知からくる単なる暴言にすぎない。
歴史認識の甘さ、人権認識の欠如などを指摘すればきりがない問題を含んでいるのだが、彼は謝罪も、発言の撤回もしないという。また、不利だと思うと囲い込み会見もお断り、はてには自分の英語力のなさが誤解を生んだなど責任をとらない姿は、今までの政治家とどこが違うのだろうか。先週言った曽野綾子氏が「賢母はいるが、大母がいない」と言っていたが、「賢い政治家はいるが、大きな政治家がいない」ということをまた書かなければならないのは悲しい。本音で、橋本さんを叱る政治家はいないのだろうか。


◆新米園長・瞑想?迷走記
5月は一年前の補助金の実績届を都、区に提出しなくてはならないが、幼稚園は何かと新入園児を迎えて、保育者の手が足りなくなるので、事務員までかりだされ、したがって、本来なら事務員が作成するこの報告を園長が書かなくてはならなくなってくる。正直、牧師を兼務していると疲れる。
前にも書いたが、一方では定員80名ぐらいの園では園長も本来の業務でないことをしないと経営はなりたっていかない。教会立の園では、これを牧師夫人がしているところも多くあるが、課題は重いし、何らの解決にならない。ぼやいてもしかたないという、ことからやらなきゃというのが現状である。


◆「ルターの言葉から」
町や城や金や銀ではなく、天上、地上における最大の宝として、私たちと弟子たちに聖霊はご自身の平安を残していかられるというのです。これは実にすばらしい最後のお言葉です。弟子たちは恐れたり嘆いたりする必要はなく、心のうちに希望に満ちた平安をもつことができるのです。
主は言っておられます。わたしに頼っている限り、まことの平安と喜びがある。わたしの臨在とメッセージは、わたしが心からあなたがたを愛し、あなたがたの益のみを望み、また、わたしの父は最高の恵みのうちにあなたがたをご覧になっておられるという事実を教えてきたものである。これこそわたしがあなたがたに残して行くことのできる最上の贈り物である。
ヨハネによる福音書14章の講解



◆北米のルター派・その歴史 23チャールズ フレドリクソン
第三の波(1890~1940)3
アメリカのルーテル教徒とヨーロッパ、とりわけドイツのルーテル教徒との関係では、第一次世界大戦がもう一つの転換点でした。1900年代初頭には、ルーテル教徒の間に、教会および個人の生活をアメリカ流に変えていこうという意識が育っていました。最も劇的に変わったのは言葉ですが、それだけではありませんでした。少なくともそれと同じくらいに重要なのは、ものの見方や忠節な行為においても、ルーテル教徒はこれから先アメリカ人であらねばならないということを悟ったことです。これまで姿が見えなかった、アメリカを表す基本要素がもっとはっきりわかるようになりました。例えば聖域に掲げられたアメリカ国旗は、アメリカの精神文明によって元気づけられることを示す標識としてだけでなく、第一次世界大戦では愛国心を示すしるしでした。


◆大森通信
やっと改修中の休館の園舎の足場が取れた。旧館の壁のタイルは清掃され、優しい趣のある橙色のタイルの姿が見えてきた。心がほっとして優しさに包まれていく。こんな雰囲気をどこかで経験したことがあると感じたとき、「そうだ、福本先生とお会いしたときに」。建物は、その人の気持ちがいつまでも生きていると思う。福本先生に見えてきた。
初めの計画では、老朽化し汚れていた壁を有機質のペンキで、塗装して塗りつぶしていく予定であったが、S兄の提案で歌舞伎座改修に使われた無機質の塗料を使い、タイルを残すということになった。余分に100万円かかるが、建築委員、役員が賛成してくださり着工した。幸い工夫をして、予定の100万円の経費もかからずに出来た。実行してよかったという感動を味わっている。金と手間がかかったが、歴史を塗りつぶさなくて、よかったと思っている。
ここに昔からあったように、調和して新館も旧館も今を建っている。見るとどこを改修し、新築したのだと思うような趣であるが、後の人がどう評価するか分からないけど、満足いけるものであると私は思っている。何よりも優しい雰囲気に癒され、教会に生きて信仰を証した人たちの息を感じる。

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